しあわせって、なあに?こまりを見ていて、考えた
今日も、気づいたら夜になっていた。
やることは終わらなくて、頭の中は「あれもまだ」「これもできてない」でいっぱいで、 なんとなく、ごはんを食べた気もしない。
そんな日が続いているなら——今日の記事は、そんな人のそばに置いておきたくて書きました。 答えも、正解も、出しません。ただ、こまりを見ながら、ぼんやり考えたことを。
今、幸せを感じる余裕なんてない——それが当たり前
いきなりですが、言わせてください。
今、目の前の幸せをうまく感じられていなくても、それはあなたが冷たいんじゃないです。 心の余裕が、ないだけ。
介護が続いていると、頭の中は常に「次は何をしなきゃ」でパンパンになります。 ごはんを食べても「おいしい」より先に「時間が」と思ってしまったり、 好きなテレビを見ていても、親のことが頭をよぎって集中できなかったり。
そういう状態で「今を大切に」「幸せを見つけよう」なんて言われても、 「それができたら苦労しない」って話ですよね。
だから、まずそこを認めてほしいんです。 今は余裕がない。それが当たり前。あなたが悪いんじゃない、と。
チュールに全力のこまりを見て、気づいたこと
話は変わって、こまりの話をもう少し。
チュール(猫用の液体おやつ)を出すと、こまりは両前足でパックを抱え込みます。 なぜかイカ耳(怒ってるときみたいに耳が横に倒れる)になりながら、よだれをたらしながら、 そのひとつにすべての集中を向けて、全力で向き合っています。
見ていると、思わず笑ってしまうんですよね。
でも笑いながら、「あ、これだな」とも思うんです。 こまりは今、チュールのことだけを考えている。過去も未来も関係なく、その一瞬にぜんぶを置いている。
人間には、これがものすごく難しい。 頭の中に「あれも」「これも」がぎっしり詰まっていると、目の前のことが半分しか見えなくなる。 おいしいものを食べても、きれいな空を見ても、どこかぼんやりしたまま。
だからといって「こまりみたいになろう」と言いたいわけじゃないです。 それはそれで、プレッシャーになりますから。
こまりは「お手本」じゃなくて、見てると、なぜか力が抜ける、隣の存在。 それでいいんだと思っています。
以前書いたこまりが教えてくれたことでも少し触れたのですが、こまりはただそこにいるだけで、不思議と今に引き戻してくれるんですよね。
「ふっと力が抜ける一瞬」が、じゅうぶん
では、どうすればいいか——というより、「どうすれば」と構えなくていいんです。
一日に一回でも、ふっと力が抜ける瞬間があれば、それでじゅうぶん。 視点を変えようとしなくていい。意識的に感謝しようともしなくていい。
ただ、こんな小さなことが、思いのほか効きます。
- 好きな飲み物を、一杯だけゆっくり飲む
- ちょっとだけ外に出て、空を見あげる
- 好きな音楽を、一曲だけかける
- 5分だけ、何もしない(スマホも見ない)
- ペットがいる人は、ただそばに座る
これは「自分を変える」じゃなくて、「自分の機嫌を、自分でとる」ということ。 わがままでも、サボりでもない。
自分を満たすのは、巡って、優しさになる
自分のために時間を使うと、罪悪感が出てくることがあります。 「こんなことしてていいのかな」「介護のことを考えなきゃ」って。
でも、からっぽのままでは、人にやさしくするのがしんどくなる。 水がなければ、分けることができないのと同じで。
自分を少し満たすことは、わがままじゃない。 それは、まわりまわって、目の前の人への優しさになる。
だから、「自分の機嫌は自分でとっていい」。 罪悪感をもたなくていい。 「できてない自分」を責めなくていい。
自分を責めないだけで、もう十分です。
まとめ
こまりを見てぼんやりしていたら、なんとなくそんなことを考えた夜でした。
わたしはふだん、介護のそばで相談にのっている者です。 いっぱいいっぱいの日は、答えなんて求めなくていいから、こまりでも見てひと息ついていってください。 くたびれたときに、またふらっと寄ってもらえたら嬉しいです。
現役のケアマネジャー(主任介護支援専門員)。在宅介護の家族に「ちょっと隣にいる人」がいたらいいなと思ってこのブログを始めました。猫のこまりとお届け中。
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