ほっとひと息

足元湧出温泉。湯船の真下から、生まれたてのお湯

足元湧出温泉。湯船の真下から、生まれたてのお湯

「足元湧出」という言葉を知ったとき、静かにテンションが上がった。

お湯が、湯船の底から直接湧いてくる。 空気に触れる前の、生まれたてのまま。 運ぶことも、ためることもできない、その場だけのお湯。

介護でくたびれた人に、いつかこのお湯を知ってほしい、とずっと思っていました。 今日は、そういう話です。


とも
とも
こまり、温泉の「足元湧出」って聞いたことある?
こまり
こまり
あしもと…ゆうしゅつ? なにそれ。足元が熱いやつ?
とも
とも
近い! 湯船の底——まさに足元の岩盤から、源泉がそのまま湧き出してくる温泉のことです。お湯が上から注がれるんじゃなくて、下から生まれてくる。
こまり
こまり
えっ、下から? なんか、すごくない? それって珍しいの?
とも
とも
かなり珍しいです。全国でも本当にごく限られた、温泉好きが憧れるスタイル。一度入ったら、普通の温泉には戻れなくなる人もいますよ。

「足元湧出」とは——湧いたそのままに、いちばん近いお湯

石畳の底からお湯が静かに湧き出す木造浴室

温泉には「かけ流し」という言葉があります。 源泉を加水・加温せず、そのまま湯船に注ぎ続ける方式のこと。 温泉好きにはおなじみの言葉ですが、足元湧出は湧き出たそのままに、いちばん近い形です。

どういうことかというと——

かけ流しでも、源泉は一度地上に出て、パイプや樋(とい)を通って湯船に届きます。 その間に空気に触れ、少しずつ酸化が始まる。 届くまでに、お湯は”旅”をしてきている。

足元湧出は違います。 湯船の底の岩盤に穴があり、そこから源泉が直接、静かにポコポコと湧いてくる。 パイプも、樋も通っていない。空気にもほぼ触れていない。 湧き出た瞬間から、もうあなたの肌に触れている。

これが、足元湧出の本質です。 「生まれたてのお湯」という言い方がぴったりくる理由は、ここにあります。


なぜ特別なのか——運べない、その場だけのもの

足元湧出のお湯は、運ぶことができません

瓶に詰めて持ち帰ることも、ペットボトルに入れることも意味がない。 底から湧いて、湯船を満たして、そのまま縁からあふれていく。 あの湯船の、あの場所にいるときだけ、触れることのできるお湯です。

それから、人の手を加えにくいお湯でもあります。 足元から湧く量もタイミングも、源泉任せ。 お湯の濃さも、湧き出るペースも、大地が決めること。 (ただし、温度を整えるために水を足している宿もあります。蔦温泉は「温度調節のため蔦の森の湧水を入れています」と公式に書いています。「何も足していない」と決めつけないほうが正確です。)

湧き出たばかりで空気に触れにくいぶん、肌あたりがやわらかい——そう感じています。 (成分や効能について、わたしに医学的なことは言えません。あくまで、わたしがそう感じるという話です。)

とにかく、そのままなんです。 湧いたそのまま、生まれたてのまま。 それが足元湧出の、なんとも言えない贅沢さだとわたしは思っています。


足元湧出の名湯を、2つ

全国にごく少ない足元湧出のなかで、わたしが心惹かれる湯宿を2つ紹介します。 (営業時間・日帰り入浴の可否・混浴の状況は季節や状況で変わることがあるので、訪問前には必ず各公式サイトでご確認ください。)

法師温泉 長寿館(群馬)

群馬県の山あいに佇む、鹿鳴館風の木造建築が印象的な宿です。 明治時代から続く歴史があり、国の登録有形文化財にもなっています。

ここの「法師乃湯(ほうしのゆ)」が、足元湧出で知られる浴場。 大きな石を敷き詰めた浴槽の底から、白い泡とともにお湯がポコポコと湧き出してくる様子は、一度見たら忘れられません。 (同じ宿の「玉城乃湯」は別の源泉を引いた浴場で、足元湧出ではありません。足元湧出はこの法師乃湯と、小さな「長寿乃湯」です。)

浴場に入った瞬間の静けさ、天窓から差し込む光、底から湧くお湯の気配—— 「ここに来てよかった」という気持ちが、ゆっくりとわき上がってくる場所です。

蔦温泉(青森・十和田)

青森県の十和田湖の近く、ブナ林に囲まれた静かな湯宿です。 「蔦(つた)」という名前も、周囲を覆う豊かな緑に由来しています。

ここの「久安の湯(きゅうあんのゆ)」も、足元湧出。 木造の浴槽の底板の隙間から、源泉がしみ出すように湧いてくる。 ブナ林の静寂の中で、そのお湯に浸かる体験は、たとえるものがないくらい穏やかです。

青森まで足を伸ばす旅を考えるなら、ここは外せない一軒だと思っています。


こまり
こまり
ふむふむ。つまり、足元からポコポコ湧くお湯は、生まれたてで、ほとんど手を加えないで、その場でしか会えない、ということ?
とも
とも
そうです、さすがこまり。「その場でしか会えない」という表現、とてもいいですね。温泉って、行かないと始まらない。でも、行けばそこにある。

浸かった瞬間の、あの静かな高揚

ブナ林を望む木造湯船でひとり静かに湯に浸かる女性

足元湧出のお湯に初めて浸かったとき、不思議な感覚がありました。

高揚しているのに、静か。 テンションが上がっているのに、口数が減る。

底からポコポコと湧くお湯の気配を、足の裏で感じながら、 「あ、今、特別なものの中にいる」という意識がじわりと広がる。

声に出す必要がない。 写真を撮る気にもなれない(撮れないですし)。 ただ、そこに浸かっていたい。

これが足元湧出の、わたしが一番好きなところです。 何かを「する」温泉じゃなくて、何もしなくていい温泉。

温泉が好きになったきっかけをたどると、こういう「ただ在る」感覚への憧れだったのかもしれない、と今は思います。 以前書いた温泉好きになったきっかけは、万座温泉だったでも、そういう気持ちに少し触れました。


生まれたてのまま、でいい

介護は、気を張ることの連続です。

親のこと、お金のこと、仕事のこと、ケアマネさんとのやりとり、施設のこと、家族間の調整—— 次から次へと「考えること」が来て、自分を後回しにしているうちに、ずいぶん遠くまで来てしまっていることがある。

そういうとき、足元湧出のお湯の話を思い出してほしいのです。

何も足さない。 何も混ぜない。 運ぶこともできない。 生まれたてのまま、そのまま。

そのお湯に浸かるとき、あなたも飾らなくていい。 弱くていい、疲れていていい、何も分からなくていい。 「しっかりしなきゃ」を、湯船の縁に置いてきてもいい。

足元から湧くお湯が、そのままのあなたを受け取ってくれます。


まとめ

こまり
こまり
足元湧出、整理するね。湯船の底から源泉が直接湧く、全国でもごく少ない希少な温泉。空気に触れにくい、生まれたてのお湯。法師温泉と蔦温泉が有名。そして——そのまま浸かっていい、ということ。
とも
とも
完璧なまとめ、ありがとう。足元湧出のお湯は、探さないと出会えません。でも、出会えたときの「ここに来られてよかった」という気持ちは、本当に特別です。介護でがんばっている方こそ、ぜひいつか。

足元湧出のある宿は、予約が取りにくいところも多いです。 「行けたら」ではなく「行く日を決めてから動く」くらいの気持ちで、手帳に書いてみてください。 自分のための時間を、予定表に先に入れることは、わがままじゃありません。


わたしはふだん、介護のそばで過ごしている者です。 温泉の話をしながら、いつも心のどこかで「くたびれた家族の方に、こういう時間があってほしい」と思っています。 息抜きに、気が向いたときにまた寄っていってください。


温泉や旅の話は、もうひとつのブログ「旅のこまりごと」にまとめています。 足元湧出のような湯の話も、そちらで少しずつ書いています。よかったら、こちらものぞいてみてください。

🐾
とも 現役・主任介護支援専門員

現役のケアマネジャー(主任介護支援専門員)。在宅介護の家族に「ちょっと隣にいる人」がいたらいいなと思ってこのブログを始めました。猫のこまりとお届け中。

この人について →

こちらもどうぞ