認知症の方に線を引くということ。ケアマネのわたしが考えること
「ショートステイに面会に行ったら、職員さんが母のことを『〇〇ちゃん』と呼んでいて。あれって、普通のことなんでしょうか」
そう聞かれたことがあります。
よくしてもらっているのは分かっている。悪気がないのも分かる。だからその場では、何も言わずに帰ってきた。それでも、なんとなく引っかかったまま、家に着いた。
「親しみを込めて」と言われるけれど
こういうとき、たいていこう言われます。「親しみを込めているんです」と。
実際、そのつもりの方がほとんどだと思います。冷たくしてやろう、下に見てやろうと思ってちゃん付けをしている人には、わたしは会ったことがありません。
ただ——親しみと、相手を下に見ることは、別のものです。そして、その二つは、とても混ざりやすい。
少なくともわたしは、相手によって「崩していいかどうか」を、無意識に選んでいました。上司を「〇〇ちゃん」とは呼びません。そこに悪気があるかどうかは、あまり関係がないんです。
わたしも、昔は「〇〇くん」と呼んでいた
昔は、年下の人を「〇〇くん」と呼んでいました。悪いことをしている自覚は、まったくなかった。親しみのつもりでした。
あるとき、同じ施設で働いていた人に、こう言われたんです。
「それ、おかしくない? 明らかに下に見ているよね」
少し、衝撃でした。下に見ているつもりなど、これっぽっちもなかったので。
でも、言われてから思い返してみると、確かにそうでした。相手によって、呼び方を変えていた。年上には「さん」、年下には「くん」。無意識のうちに、自分の中で人に順番をつけていたんです。
それを聞いてから、すべての人に「さん」を付けるようにしています。
いまは、職場の人にも、担当している方にも、必ず「さん」を付けます。年上でも年下でも、変わりません。
呼び方を揃えたというより、頭の中で人に順番をつけるのを、やめたんだと思います。
じつは、猫にも「さん」を付けています
わたし、猫にも「さん」を付けて呼んでいます。こまりさん、ぴーさん、という感じで。
順番をつけないでいるうちに、線を引く場所が、だんだん分からなくなってきた結果です。徹底しよう、と決めたわけではありません。
ちなみに、ずっと敬語だと距離ができてしまうので、ちょっとだけ、くだけた言い方を混ぜることもあります。さん付けにするのは、線を引かないためであって、よそよそしくするためではないので。
この「順番をつけない」というのは、わたしの中ではこういう考え方から来ています。
同じものを見ても、同じように感じる人はいない
同じものを見ても、同じように感じる人はいない。その時点で、尊い。
「尊い」と書くと大げさに聞こえるかもしれませんが、わたしにとっては単純な話です。
あなたが見ている「青」と、わたしが見ている「青」は、同じではないかもしれない。同じ映画を観ても、笑うところが違う。
その人の中で起きていることは、わたしには分かりません。分からないものに、順番はつけられない。
だから、5歳の子どもも、自分の倍くらい生きてきた人も、同じです。
その人たちに敬意を持たない、というのが、わたしにはよく分かりません。
この考え方が、いちばんはっきり出るのが、認知症の方に向き合うときです。
言葉が出なくなったら、人ではなくなるのでしょうか
認知症が進むと、言葉がうまく出てこなくなることがあります。
字がうまく書けなくなることもある。昨日のことが、今日には抜けてしまうこともある。
そのとき、そこで線を引く人がいます。「もう分からないから」「何を言っても伝わらないから」という言い方で。
そこで線を引く意味が、わたしには分かりません。言葉が出なくなったからといって、人でなくなるわけではないと思っています。
見えているものも、感じていることも、その方の中には、ちゃんとあります。それを言葉にする道が、細くなっただけです。
認知症になっても失われないもの8選 家族に知ってほしいことにも書きましたが、言葉や動作が変わっても、その人がいなくなるわけではありません。
できることが残っている、というのは尊いこと
なぜそこにこだわるのか、と聞かれたら、自尊心だと答えます。
たとえば、手がふるえて、うまく字が書けない方がいます。それでも、何かを書こうとしてくださる。
そのとき、わたしは「わたしのほうが読めない字を書いていますよ」と言います。
上手だとほめるのではありません。うまく書けていないのに上手だと言われても、うれしくないと思うので。書けたことを、こちらが大ごとにしない。それだけです。
自分の名前を、自分で書けた。それだけのことに見えるかもしれません。でも、できることが残っている、というのは、認知症になった方にとって尊いことです。
だからわたしは、ケアプランの署名も、できる限りご本人にしていただくようにしています。読めない字でもかまいません。ひらがなでも大丈夫です。無理をする必要もありません。
ただ、「書けなかった」と感じること自体が、ご本人の自尊心を傷つけることがあります。だからそういうときは、ご家族に目で合図を送って、「サインはどうしましょうか」と、そっと引き取っていただきます。
できるだけ、やれる限りはご本人に。それが基本だと思っています。
欠点があっていい。完璧だと息が詰まる
ここまで敬意の話をしてきましたが、ひとつ、正直に書いておきます。
敬意を持てない部分がある相手は、実際のところ、います。全部ではないけれど、一部の部分で、という言い方になりますが。
きれいごとを並べたいわけではないので、そこは書いておきたかった。
いろいろなところで言われている言葉に、こういうものがあります。
「人は長所で尊敬され、短所で愛される」
これがわりと好きで、ふとした瞬間に思い出します。
欠点があっていいじゃないですか。完璧じゃないといけない、というのは、息が詰まります。
これは、わたしがそうありたいという話です
だから、ご家族に同じことを求めたいわけではありません。
敬意は、押し付けるものではないので。
それぞれの家族の形がありますし、友だちのような関係でもいい。これは、わたしがそうありたい、という話です。
冒頭のご質問に戻ります。「あれって、普通のことなんでしょうか」——普通かどうかで言えば、よくあることです。そして、悪意のあることでもない。
ただ、あのとき引っかかった、その感覚のほうは、大事にしてほしいと思います。「そういうものだから」とひとまとめにして、自分の中に押し込む必要はない。
どうするかは、ご自身が決めることです。読んでくださった方が、少し息をしやすくなったなら、それで十分です。
ここまでの話を、1枚にまとめました。印刷して手元に置いたり、ご家族で見ながら話すときに使ってください。
よくある質問
呼び方が気になったとき、事業所に伝えてもいいですか?
伝えていいと思います。「言ったら関係が悪くなるのでは」と心配される方も多いのですが、ご家族の感覚を伝えることは、おかしなことではありません。「〇〇と呼んでほしい」という形が、いちばん話しやすいと思います。担当のケアマネジャーから伝えてもらうという方法もあります。
認知症が進んでも、呼び方は伝わっているのでしょうか?
言葉として理解しているかどうかは、その方の状態によって違います。ただ、言葉の意味よりも声のトーンや表情のほうが伝わっていると感じることは、少なくありません。何と呼ぶかより、どんな気持ちで呼ぶかが届いていることは、あると思っています。
本人が「ちゃん」で呼ばれて嫌がっていないなら、いいのでしょうか?
嫌がっていないから納得している、とは限りません。認知症が進むと、嫌だと感じていても、それを言葉にして相手に伝えることが難しくなる方もいます。笑っているように見えても、居心地の悪さだけが残っていることはあります。ご本人が本当はどう感じているかは、こちらからは見えません。だからわたしは、確かめられないほうに寄せて、さん付けにしています。
説明しても分からないのに、それでも伝えたほうがいいのでしょうか?
全部を細かく伝える必要はないと思います。ただ、その場にいるのに、自分だけ何も知らされていないという状態は、誰にとっても居心地の悪いものです。「これからお風呂ですよ」「今日は病院に行きますよ」くらいで十分だと思います。伝わったかどうかより、伝えようとしたかどうかのほうが、その場の空気を変えます。
現役のケアマネジャー(主任介護支援専門員)。在宅介護の家族に「ちょっと隣にいる人」がいたらいいなと思ってこのブログを始めました。猫のこまりとお届け中。
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